巡り終わる季節
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季節は巡り、一年、二年。去年感じた風は、一年かけてまた同じ冷たさをこの身に吹き付ける。それでも十年も巡り巡れば、温かく感じる年もあり、またもっと冷え込む年もあった。二十年も過ぎれば、ようやくその寒かったり温かかったりする時の巡りが、ひとつのとても大きな流れの中にあることを悟る。
人はその流れに乗り、浮き上がったり沈み込んだりする。停滞しているように感じられることがあったとしても、決して止まっているということはないのだ。淀みにはまった気がしても、流れに押されて少しずつ体の向きを変え、淀みから抜け出してまた流れる。
長すぎて、途中でくじけてしまう可能性も考えた。二十年前、彼女はまだ若かったのだ。誘惑はたくさんあった。一人で流れていくには、世界はまだまだ魅力的で、共に流れていきたいと想った男もまた、魅力的過ぎた。けれど彼女は一人の旅を選んだ。彼女が選んだ男もまた、彼女と共に流れることを望まなかった。それを周囲の状況から、と自分以外のせいにするつもりはない。
二人は流れの中でお互いに望んで距離をとり、そして約束した。どんな流れに捕まっても、時に淀みに嵌ったとしても、二十年後、再び会おう、と。二十年の歳月をかけて、大きな流れの中から再びお互いを見つけ出そう、と。
そして、今度こそ二人一緒に流れていこうと。
二十年、その月日はきっと二人の間にある愛だけでは処理できないものを流してくれるだろう。流してしまうことを、許してくれるだろう。
そう信じて別れた。不安がなかったといえば嘘になる。実際、北の大地に一人で残ることを選んだ女は、一年毎に胸を圧迫する不安に気が狂いそうだと思った。二十年も待てない。いま、ここにあの人がいてくれなければ狂ってしまう。そんな不安に怯え続けて暮らした一年もある。
そんな中で、女はひとりの子どもを拾った。十年前のことだ。一年の殆どを雪が覆う北の厳しい大地で、さらに北からやってきたような足跡を残して倒れていた子どもは以来、彼女の孤独な旅の道連れとなった。
「お帰りなさいませ、お師匠様」
街でこの冬必要となる最後の荷物を受け取って帰ってきた彼女を迎えて顔を上げた少年は、まるで少女のように美しい顔立ちをしていた。肩まで伸びた水色の髪、そしてルビーのように赤い大きな瞳。北の民と呼ばれ、その見目の美しさから各地の貴領候に望まれ、金目当ての奴隷商人達の雇った傭兵に次々と村を襲われた悲劇の民。おそらく今生きている北の民はその九割が貴領候の屋敷で見世物扱いされているのだろう。
彼女が拾った少年は、自分の村がどうなったのかを語りたがらなかった。彼女もあえてそれは問わずにいた。ただ行き場のない少年を自分の元において、自分の知識を分け与え、彼女は代わりに孤独を彼に半分肩代わりさせた。
「また星見をしていたの? するのは構わないけれどね、上に何か着なさい」
彼女は十年の月日を共に過ごしたこの少年を愛していた。少年は賢く、そして彼女も持っていない不思議な力を有していた。
「今日はあまり寒くありませんよ」
星を見て世界を占うことは、彼女のような白の魔術師にはない知識だった。少年がその赤い瞳で空を見上げている姿を目にすると、彼女の脳裏には全く別の人物が浮かぶ。若い頃別れたあの男も、少年と同じ北の民だった。村を襲われ、家族を殺され、復讐に燃えた男はそして――彼女の家族を奪った。
二人の間にあったのは暗く深い恨みだ。男は彼女の父親の命令で家族を奪われ、彼女はその男に家族を殺された。恨み、憎しみ。しかし二人の間にはそれ以上にお互いを悩ます感情が生まれていた。
愛情だ。
男は家族の敵の娘を、女は家族の敵そのものの男を。愛してしまっていた。二人はお互いを許すことができなかった。けれど、お互いを愛さずにいることもできなかった。
『二十年も経てば、お互いを許すか、それともこの愛を忘れるか。どちらか選ぶことができるようになるだろう』
赤い瞳で彼女を見つめ、男は静かにそう言った。だから今は、別れよう。そう言って去って行った男の背を見つめながら、彼女は思った。この愛を忘れることはできない。けれどこの憎しみも忘れることはできないだろう、と。
「そう? 年をとった女には辛い寒さだけれど……」
実際、この北の地で迎える冬は年々体に堪えるようになってきている、と女は思った。二十年前に思っていたとおり、彼女は愛も憎しみも忘れることができずに、男がこの地に帰ってくることを待っている。
「……お師匠様」
男の方は、若い頃の愛なんて忘れているかもしれない。そう思ったことは何度もある。どちらにせよ、期限は二十年だ。今年の冬を乗り切ってしまえば、彼女の長い孤独も終わる。厳しいこの土地を離れて、若い弟子のためにももう少し人里に近い場所へ住み替えることもできるだろう。もう少し生きやすいように、綺麗な水色の髪は染めてしまった方がいいかもしれないが、とにかくこんな雪だけの寂しい場所は離れて過ごすべきだろう。彼女だって、雪の中を街まで降りていくだけの体力はいつまでもつか分からないのだ。
「何? 私はもう休むわ。後は頼むわね」
今日だって、まだ雪が積もっていない山道を歩くだけで疲れている。女は早々に小さな家に引き上げようと、弟子を残して家の戸に手をかけた。そこに、弟子の声がかかる。
「お師匠様。星に……お師匠様の待ち人が来ると出ています」
女は立ち止まり、そしてゆっくりと振り返った。
「……私の、待ち人が?」
驚きに擦れた声に、弟子はしっかりと頷いた。
「はい」
待ち人があることさえ、この弟子には話していなかった。弟子を信用していなかったわけではない。この弟子ほどに心を許せる人間を、彼女は他に持たなかった。けれど、だからこそ来ない相手を待ち続ける哀れな女と見られたくなかった部分もあるのだろう。しかし結局、この不思議な能力を持つ弟子には分かってしまうことだったのだ。
「……お前の星見は疑わないわ。そう……、ようやくその時がきたのね」
待つ時間が長すぎて、待っていたという気もどこか薄い。けれどじんわりと胸にこみ上げる。これはそう、喜びなのだろう。
「お前にそのことを教えてくれた星はどれ?」
家から離れ、近づいて尋ねると、分かりやすいようにと弟子は女の側に寄って腕を空へ向かって差し伸べた。この時期はずっと灰色の雲がかかって雪ばかりを降らせる空は珍しく晴れていて、弟子の指先が示す星の姿が良く見えた。
「あの星です。北に輝く、赤い星が」
赤の星は終わる前の命の炎を燃やしているのだ。二十年よりももっと長い年月を生きた星も、終わりへ向けて燃えている。終わらない旅はないのだ。彼女の旅とて、同じこと。
「そう……。ようやく、ようやく終わるのね……」
長い約束の時が、終わりを迎える日が、ようやくやってくる。溢れるほどの幸福感を伴って。待っていた。彼女はずっと、この季節が巡るのを待っていたのだ。